27年7月18(土).19(日)日
本伝会 委員 林 秀一
門司港駅本屋研修に続き、さあ、11:00になりましたので、現場前のコンビニでお昼ご飯を購入し、関門トンネルで 150円払い、下関インタ-にて、いざ広島県呉市豊町御手洗まで行きます。
私くし、ドライバ-は、高速道路に乗って運転しながらの食事であった。(おにぎりとパン)
広島市内に入る前に、日高さんと運転を変わったので一安心と思えば、高速から「あつ、こっちだっけ」などと騒ぎながら島に入る。ここからは、目をつぶっても行けると発言と思えばガソリンが無い!大変すぐあれば入れましょう!あつ!有りました。うお-なんとガソリン高い147円ぐらい!レギュラ-だよ、ハイオクではありませんよね!もう遅し、車は、移動しています。まあ何とか!橋を5(※注1)個渡らねば!皆で騒ぎあいながら素晴らしい天気に恵まれ、空も真っ青です。
台風の後の空は素晴らしいです。この気持ち中々お伝え出来ませんが悪しからず。
御手洗に着きましたが、何やら倉庫でお祭りイベントをしているみたいだが後から寄ろうなど言いながら、みかん屋も有り寄ろうと言いながら帰りに寄ろうとのことでした。
駐車場に着き無料の御手洗休憩所にまずより、話を聞いてさあ、見て回ろう!
写真でも有るが、人のいない通りでしたのでシャッターチャンスでした。
屋根瓦は、見事にやり直ししているが、袖瓦が有る!あっちは、無い!鬼は結構はでな鬼ばかり、旧い屋根を見ると下り棟3段に丸下ののし瓦は普通の積み方になっている。
旧い写真を若胡子屋跡にあったが瓦にはしっくいで巻いていたが、なぜか今の状態では、一件もなかった。不思議だ!早く言えば現代風に吹かれていたと私は、感じました。
後は、住吉神社側は、泊まり客、御手洗休憩所側は、商いのお店と別れていたのかな!と思いました。(酒屋のおばあちゃんが言ってました)
17:00になったのでホテルに移動しましょう!
帰りによる場所には、寄らず反対側の道で帰る様になりました。が!何もない四国が見えるだけ、でも黄色くなっていたが、あれは何だろう!コ-サ・黄沙!
しかし、何もない海岸線をひたすら帰ることでした。ホテルに無事着き、皆さんお疲れ様でした。今夜の食事はこれです。
これだけでは、有りませんが後は、写真に収めていませんでした。
竹を使ったお皿素晴らしかった。
私と三松さん、日高さんは商店街を散歩して、帰りました。
7月19日(日)朝8:00出発予定が20分遅れ!さあ出発!
山口県萩市まで移動広島市を横断するだけでした。
美東SAでトイレ休憩ここのトイレすごい。
手洗いと兼ねてる。
気持ち入れ替えて11:30には萩市に着きたいですね!さあ、いくぞ~
何とか予定通り萩市に到着、すぐに萩反射炉にいそがねば!
【世界遺産登録!】 大砲鋳造のためにつくられた金属溶解炉
ここで、鉄を溶かして色々作ってたらしい!
レンガ作りとはいえ、すごい熱に耐えられるのが凄い、そんな時代に良く選んで作っていたものだ。雷が落ちて右側が溶けているのが凄い。この時代まで残ってるのが素晴らしい
さあ、移動だ!お昼にいこう!道の駅での海鮮丼 あれー、人が多すぎ!次のポイントに間に合わない!もう移動しましょ!違う所で食事を!
近くの場所に有りました。
皆一緒だが、刺身の人も、うな重の人もいました。
皆美味しかったかな!
山口県萩市
選定年月日:2011年06月20日
重要伝統的建造物群保存地区
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萩市佐々並市伝統的建造物群保存地区は、江戸時代の宿駅施設等が失われているものの、近世前期に御茶屋を起点として成立した町割が良く残って、往還沿いに混在して残る茅葺や桟瓦葺の主屋が周囲の棚田等と一体となって、萩藩の主要街道であったらしい。
毛利藩主の参勤交代では少ない時で600人弱
多い時で1,700人弱の行列になっていたそうです。
昔の街並みが少なくなっているが、お姫様やお殿様はもちろんのこと、吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允、桂太郎、坂本龍馬、伊藤博文、大村益次郎、山県有朋が通っていったそうです。
ささなみ豆腐屋が有り約200年の伝統があるそうです。
佐々並市伝統的建造物の調査も終わり、いざ門司に! あつ!
急がねば!門司に17:00着く予定だ~!
間に合うのか!490号から中国自動車道に乗って下関インタ-まで急がねば!