平成27年度 本伝会視察研修報告

御 手 洗 視 察 研 修  養父 信義

 走る 走る 走る 一路御手洗へ。呉市内を抜け安芸灘大橋、浦刈大橋、豊島大橋、豊浜大橋を渡り、御手洗に入る。豊町観光協会休憩所前の駐車場に停める。観光バス2台が駐車(あっ観光客が来てるのだ・・・)。時間は2時間、すぐさま各々で散策開始。町突端から蛭子通りの北西部分の町並みは白壁の居蔵造り(土蔵造り)であり、南東部分は海岸表通りと山際裏通りの二筋が南下し、これを繋ぐ小路地が7本走る。こちらの町並みは真壁造り化粧垂木軒仕上げである。こちらは茶店・船宿や漁師などの住まいの町並み。北の居蔵造りの町並みは商家や倉庫、官司などの町並みに区分されたと思える。また伝建指定後20年が経ち、町並み保存事業が進み、大半が工事を終えている。

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 今NHK大河ドラマで「花燃ゆ」を放映中である。その登場人物の坂本竜馬や騎兵隊の二隻の軍艦も来島し、長芸条約が結ばれた(金子邸)場所でもあった。p01_02また金子氏は町年寄、庄屋役を務める家系で、住吉神社前にある高燈籠(江戸の常夜燈)の建設(天保二年・1831)も
三笠屋七代目金子庄左衛門と息子十郎右衛門によって建立された事が解る。この常夜燈は脚部に焚口が設けられた薪焚きである。
また当地でしか見られないものが満舟寺にある明和7年(1770)建立の亀趺墓である。霊亀(想像上の亀のような)の台座に角柱の墓身に方形屋根を置く。古くは中国よりもたらされ、日本でp01_03は大名家に数基見られるが、大名家以外ではここだけではないかとの説明札(広島大学教授)が建つ。また、満舟寺観音堂が石階7段上部に建つ。石階が基壇前面に半円状に設置され
ている珍しい造形である。この観音堂に掛かる寺額「満舟寺」は琉球使節団の「中山楽師梁光地」なる者の揮毫(書いたもの)したものとの事である。文化4年の沖縄への帰り路である。琉球使節団の御手洗に来航し、風待ち・潮待ちし、江戸へ上りp01_04下りしたのである。
 町中では出入口横の格子壁などに茣蓙を垂らし、竹筒に生花を各戸がそれぞれに活花が飾られていた。修理工事を終え
た建物に高札(家屋の説明板)が付けられていた。

 

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家屋の説明版

家屋の説明版

築地通りにあった酒屋さんに立ち寄る(喉が渇いたのである)。老女主人との対話。
「もうだいぶ前に嫁入りして来ました」p01_11
「どのようにしてここまで来ましたか」
「舟に乗って嫁入りして来ました」
「瀬戸の花嫁さんみたいですね」
「ふふふ(笑み)」
「昔は広島へ行くにも舟で行きましたか」
「いいえ、嫁入り後1回も島から出たことがありません」
「あらまぁー そうですか。でも今は橋が架かり便利になったんではないですか」
「そうですね。でも行く用事がありません」・・・。
この店の机の上のチラシの上に、銅製の器が無造作に置かれてあった。魚の叩き出しで水面から飛び出す構図である(見事である)。p01_12
「こんなのはまだ奥にありますよ」
何ともはや・・・往時の栄華が偲ばれますね!!
2時間の見学であったが、細部にわたって見るのに多少時間が足りなかったかな!バス2台の観光客とはあまり競合せず調査出来た。いつの間にか出発していた。